Spaceppongレポート|派遣報告会

2025年8月29日から10月29日の合計61日間、韓国は光州にありますSpaceppongへ、現在レジデンス滞在中の黄金町AiRより派遣されました。

今回、初めての海外だったため、このためにパスポートを作りました。アルバイトも2ヶ月間休むことが難しかったため離職。相模原に借りていたアパートも解約し、黄金町のスタジオへの引っ越しも重なり、仮住まいで住所不定、無職、自称アーティストのステータスで渡韓することになる。

8月29日(金)8:35に羽田空港からアシアナ航空にて金浦空港へ向かう。飛行機も高校のときに沖縄に修学旅行で行ったきり乗っていない。何もかも良くわからなかったので羽田に6:30には着いていた。事前にYouTubeで羽田空港の様子と、チェックインを予習していたので比較的スムーズにいけた。乗り物酔いをするので念のため酔い止めを空港の薬局で買っておいた。

機内では外をできるだけ見ながら動画も撮っていた。カメラはあまり見ないように、実際の景色を眺めるようにしていると、離陸して割とすぐに機内食が届いた。飲み物を聞かれ、コーラと言ったつもりが水を渡された。コーラも頼めない自分の語学力の低さに驚いた。ちなみにアシアナ航空の機内食は美味しいらしいし、有名らしい。食べ終わって、機内のモニターを見ると、もう日本から出ていた。そのあともうしばらくすると、見たことのない建物が見え始め、韓国にあっさりと着いた。1時間半くらいで着いたと思う。

光州市は横浜からそのまま横移動させた場所に位置しており、思っていたより暑くも寒くもなかった。同時に体験することはできないので難しいがほぼ日本と変わらないような気もした。ゲリラ豪雨は多く、洗濯のタイミングがかなり難しかった。

事前にもらっていた指示書を頼りに、金浦空港からソウル駅に向かい、タクシーを捕まえて、龍山駅へ向かう。

まず、空港からソウル駅に向かう途中でWaopassを購入する。チャージして使うタイプのカードでカードの決済ができる店で使うことができ、アプリ内でTmoneyに変換することで交通機関にも使うことができる。これはYouTubeで買い方を事前調べておいた。ちなみにこの便利なカードは街中にあるターミナルでチャージをするのだが、光州にはターミナルがないためチャージができなくなり、後悔することになる。

エスカレーターは右側で改札は基本的に一方通行なのは知らなかった。改札のエラー表示も当然日本語ではないのでGoogleレンズで翻訳する。改札を通るだけでこんなに苦戦するとも思ってなかった。経路

なんとかソウル駅に着き、Uberタクシーで配車。本当かどうかわからないが、空港近くのタクシーはぼったくりが多いと聞いたことがあり、出典元も覚えていないが、アプリで対策をした。

昨年同プログラムで派遣された実 実生さんから現地で使っていたアプリや、海外で必要なものや困ったことを教えてもらっていたのですごく助かった。自分で調べたお得情報より圧倒的に役に立つ情報だった。Uberタクシーもその一つだ。

龍山駅からKTXという新幹線に乗り光州松汀駅へ向かうのだが、その前にソ・ジウ氏と会う。黄金町AiRプログラムで会ったソウル在住の作家で、羽田を出発する前に連絡をしていた。彼は韓国で有名なパン屋でアイスアメリカーノとパンをご馳走してくれた。パンはバンと発音することと、日本の鳩と見た目は同じだが、食べ物を狙ってくることがあるので少し危険だということ、バッテリーと洗濯機はそのままの発音で通じることを教えてくれた。ありがたいことに彼はKTXの乗り場まで送ってくれた。

新幹線もだいぶ乗っていないので勝手がわからない。荷物も座席の前に置けると思い、キャリーを持っていくが置けず、道を塞ぎ迷惑をかけた。韓国語で話しかけられたが意味はわからなかったが迷惑そうな顔をしていたのは確かだ。荷物置き場があることに気がつき、キャリーを起き、スマホのバッテリーも少なくなっていたので、充電のできる席に座るが他の人の指定席だった。席を離れ、荷物置き場でチケットを確認していると、動き出してしまい身動きが取れなくなる。諦めてその場で止まるのを待つことにした。

しばらくするとチケットの確認で話しかけられるがよくわからず、なんとなく、QRコードがスキャンされ、その後、多分なぜ座らないのかを聞かれていたような気がして、翻訳機で動きずらいから立っていることを伝えたが、うまく伝わったのか、伝わってないのかわからないが、呆れられたのか次の車両へ行ってしまった。次の駅で停車したタイミングで座席に座り、そこからは疲れていたので何もせず1時間くらい座っていたと思う。窓辺でもなかったのであまり外も見れなかった。

光州松汀駅に着く。Spaceppongの代表のユンミさんが迎えに来てくれているので合流する。彼女は見つかりやすいようにオレンジのセットアップで来てくれていた。Spaceppong外観、室内、J-HOPEの壁画

車でSpaceppongのある光州広域市の青春鉢山村に向かう。スタジオは4.5畳程度の広さでシャワーとトイレは別の部屋にある。レジデンスアーティストはもう1人いるが、ソウルを拠点に活動しているので週末しか来ない。二段ベッドだが、1人なので下で眠り、上は衣類を置いていた。野良猫が多く、キャットフードも常備(ない時が多い)されていた。気付いたら皿に出すようにした。ゴミ箱の分別も当然ハングルで書いてあるので慣れるまで翻訳機を使っていた。可燃ごみはここに捨てるようにと言われたのだが、後日、もう1人のものだったことを知らされる。ゴミ袋は指定のものがあり、コンビニやスーパーで買うことができる、そう伝えたらしい。

青春鉢山村にはBTSの壁画があり、J-HOPEが光州出身らしい。ほかにもの壁画やパブリックアート、なんだか良くわからない置物も多く、アートがまちづくりに活用されていた。Spaceppong以外にもレジデンス施設、アーティストのスタジオがあり、アートとの距離も近いような気がした。

青春鉢山村(韓国観光社公式サイト「VISTKOREA」参照)左から、ユンミ氏、藤巻、ドヒョン氏、ウギル氏、ソンテク氏

代表のユンミ氏とマネージャーの2人で運営している小さな施設で、自分含め、滞在アーティストは2名、宿泊はしないが近隣に住んでいて通っているアーティストが数名が展示等で関わっている。

かなり小規模でそのほとんどの仕事を2人で運営し、この2人も作家としての側面もあり、忙しそうだった。

作家が運営にいることで、共感することが多く、作家の立場で立ち回りを考えてくれていた。

近隣のスペースともつながりが強く、関係者にも繋げてもらいことができた。この滞在でSpaceppong以外にも2つの展示に参加し、ワークショップの仕事をさせてもらえた。

渡韓初日はSpaceppongの前にある建物を取り壊していた業者の社長さんがサムギョプサルを奢ってくれた。事前に聞いていたが、歳上が奢る文化は強く、自分はお客さんに当たるらしく、外食はだいたい奢ってもらっていた。豪華なところに連れて行ってもらっていたときもあったし、お返しがしたいと言っても、コーヒー屋で1500w程度の安いもので済まされてしまう。日本に来たときはお返しをしなければと強く思う。

初日に入ったお店で水を飲むための紙コップに印字された文字が気になり、意味を尋ねたが、特に意味はないと返されてしまった。後に作品のタイトルになるこの言葉は調べると韓国のスーパーマーケットのプライベートブランドの名前で、おそらく、日本でいうトップバリューや情熱価格の意味を聞かれた感覚に近いと思う。たしかに自分にも説明ができない。

外食の時は大量の食べ物が出てきて、食べきられることはほとんどないように見えた。日本で飲食、コンビニで働き、フードロスについて気にして生活をしていたので自分としてはかなり厳しかったところもある。実は持ち帰ることができることに気づき、かなりの量がロスになりそうな時は持ち帰りたいというようにしてみた。左:emart、中央上:最寄りのコンビニ、中央下:コンビニ店員のユンファ氏、右:最寄りのコーヒースタンド

1人の時の食事は、主にコンビニとemartという大型のスーパー、コーヒースタンドで買えるもので済ませていた。コンビニはスタジオの最寄りのGS25(チエス イシボ)にかなり通っていたので、店員さんも仲良くしてくれていた。

自分も彼も母国語しか話せないので翻訳機を使い話をしていた。どうやら海外からくる韓国語の話せない客を何人も見ているらしく、かなり親切にしてくれた。

市内にはSpaceppongの他にも海外の作家を受け入れているレジデンス施設やギャラリーも多くあり、海外からの作家はそういったことを絡めて制作したものが多く見えた。きっと彼らはもともとリテラシーが高く、問題意識のある人たちなのだと思う。一方、もともと、歴史や社会情勢に疎い自分が、2ヶ月程度の滞在で到底これらの問題に向き合えるとは思えなかった。付け焼き刃で語るようなことでは決してなく、問題意識が芽生えたり、感情が動くには、きっと時間が短すぎると感じた。

次にSpaceppongに行くアーティストはこのコンビニはおすすめです。朝兼昼食夜ごはん

朝兼昼食
夜ご飯

滞在中の食事は1日2食、朝はCompose Coffeeでアイスアメリカーノをテイクアウトし、飲みながらスタジオに戻り、シリアルを食べ、夜はインスタント麺とキムチとご飯に韓国海苔をかけたもの、ヴィーガン仕様のスパムを半分、パーティの余り物を組み替えて食べていた。この時、日本では米が手に入りづらかったが、韓国では容易に買えた。間食に気になったパッケージのお菓子を食べていた。

洗濯機、電子レンジ、エアコンのリモコン

滞在中、当然だが言語の違いにかなり苦戦した。英語については中学生の時から勉強を避けていたので全く喋れないに等しく、黄金町AiR滞在中に聞こえた英語くらいしか知らない。そこに加えて韓国語は全く読めず、言葉も何も知らないような状態で行ったため、都度アプリで翻訳していた。

会話も韓国語を聴くことが多く、連絡も韓国語で送られてくる。これらを翻訳して返すが、翻訳された文字が正しく翻訳されているのかを確認することができないので、しっかり伝わっているのか手探りでコミュニケーションを取っていた。たまに英語を話せる人がいるものの、英語も中学でほぼボイコットしており、黄金町で聞いたことのある英語が少しわかる程度に弱いので、途中でわからなくなる。彼らの歩み寄ろうとする精神に対し、自分は受け答えができないことを悔しく思った。

事実として、円滑にものごとを進めることができず、かなり迷惑をかけた。できるだけ話せることを増やしたいと思い、勉強をしてみようとするが、日常会話に到達するまでに至らなかった。

翻訳アプリも精度が低い時は全く使えないときもあり、使えてもニュアンスがうまく伝わらない。交流より、翻訳することに意識しすぎてしまうこともあったと思う。

見た目はほぼ自分達と変わらない黄色人種であり、少し辛いのが好きな傾向にあるが近くは近い。統治時代の名残からか足場(アシバ)、ベニヤ、タルキなどと同音の単語がいくつかあること、文法が日本語と同じらしい。かつ、ロジカルに組まれた言語で学習のしやすい言語であると聞いたことがあるが、これらの情報の上で、自身が学習、理解ができないことに対し自分をかなり追い詰めていた。

今回のレジデンスを通して、言語の壁を強く感じた。譲歩して話してくれていた英語すら聴き取れない状況で、現地のリサーチや歴史、文化を深掘ることが出来るはずもなく、手に入れた日用品、写真、動画がそのままの形で貯めていくことしかできないでいた。

そんな自分とは対極的に、光州市にはアートと同じくらい、歴史的に重要とされる記念館やモニュメントを見ることができ、資料館なども多くあったように思えた。

国、市の規模でかなりサポートがあるらしい。光州市のロゴが協力欄にクレジットされている展示もかなり見た。

他の国からレジデンスにきていた映像を扱う作家と話をすることがあり、作品の中で慰安婦問題を取り上げていた彼に、単純に、自分が生まれる前の出来事を、関係させて作品を作ることができることそのものが疑問だったので直接聞いてみたが、回答は、ではお前には何ができるのか逆に聞かれてしまった。自分はそのとき、わからないと回答した。

レジデンスや展覧会で自分が何を求められているのかがよく理解できていなかったし、明確に言われたことがあるのはこのレジデンスを通して、作家には変化してほしいとのことで、それ以上は特に言われてなかった。

リサーチをほぼしておらず、単なる生活者で、旅行者でしかなく、昨日食べたものくらいしか語れないだろうと思っていたし、手に入るオブジェクト、写真、動画をそのまま溜めることを続けることが、今できることだと信じていた。

逆に、光州で会った韓国人の作家の作品はあまりそういった内容のものは少ないようにも感じた。生活の中から抽出するようにして作る、自分が日本でしていた意識に近いような作品や、内政的なものが多かった。

ギャラリーやレジデンス施設が多く、少し歩けば展覧会が見れるのは、すごく豊かな時間を過ごせたと感じる。日本にいる時よりも時間にも余裕があり、自分の知り合いもいないので話しかけられることも少なく、集中して鑑賞できたと思う。今までは知り合いの展示だからと足を運んだり、作品の話よりも取り巻く環境の話をしていたり、作品を見ることにあまり集中できていなかったのではないかと気づくことができた。

美術館やアートセンターは基本無料で、レセプションも招待制ではなく、誰でも入れた。

ペンギン村

美術の周辺からのインプットもかなり充実したものだったが、まちづくりの部分からも参考になるところは多かった。特にペンギン村は不要になった日用品を家の外壁や庭に並べたりして装飾されていた。ペンギン村なのでペンギンモチーフのものも多い。ちなみに由来は、村を歩く膝の悪い不お爺さんの歩く姿がペンギンの様だからとガイドブックにも書いてあった。

ペンギン村(韓国観光社公式サイト「VISTKOREA」参照)

左:渡韓前、黄金町のスタジオ 右:光州のスタジオ

渡韓前、黄金町で実験的に気になるものを壁にかけるということをしていた。そのままどうなることもなく、今も続けている。

韓国でも続け、手に入ったオブジェクトと合わせてプリントした写真をスタジオの壁に配置し毎日見返していた。初期構想ではこれらを組み合わせて何か別のものを作れたりしないかと考え、集めていた素材、資料にすぎなかったが、壁に掛けていたことで、そのものが面白く、加工したいと思わなくなり、そのまま集め続けた。

そのまま、オブジェクト、写真、映像を集め続け、見返すことを繰り返し、Space ppongでの展示が始まる。展示会場に行きのチケットから2日前までに手に入ったものを壁に掛け、1日前に手に入ったものはテーブルに置く、翌日はテーブルに置いたものを壁に掛け、テーブルに手に入ったものを置くことを繰り返した。写真も都度増やし、動画も少しずつ注ぎ出されて変化させた。展示期間中もオープン前にこの作業を毎日繰り返した。

この作品を通して、行為としての写真に自分は興味があり、壁にかけることによって整理して、毎日見返すことで振り返ることをしたと同時に、自分が伝えられることから憶測や不安定な情報を排除した形のものにできたと思っている。後にこれら全てを日本に国際郵便で送ることとなる。

ユンミ氏から繋げてもらった企画で、初めて美術館での展示をすることになった。こちらでは日本で作っていた作品を展示した。足場は韓国語でもアシバらしく、同音同語なのは驚きだった。持ち出しはプリントとUSBだけで、足場とモニターも会場とキュレーターが用意してくれました。キュレーターのジュン氏は日本のアニメやマンガが好きでBzのファンとのこと。アーティストの側面もあり、キャラクターのフィギュアを大量に作っていた。

会場のウンアム美術館の館長さんもペインターだったりと、作家が作家を支えるケースが多いように感じた。日本ではオルタナティブスペースにはよく見られることだが、韓国では割と浸透している様に思えたし、それぞれの活動が、往復して力になっているように自分には映った。若手の活動を支える作家に自分も将来的にはなりたい。ハンピョンギャラリーの展示風景ワークショップの様子

もうひとつ、若手を集めたアートフェアに参加した。販売可能な作品を持っているなら紹介できると、こちらもユンミ氏の提案だった。このギャラリーは商店街の中にあり、商店街では毎週末にナイトマーケットが開催される。ナイトマーケットはかなり賑わっていて、ギャラリーにも人がたくさん来ていたこともあり、ナイトマーケットでワークショップをやらないかと提案があった。

チェキで商店街の写真を撮って、前の参加者と交換するというワークショップを開き、思っていたよりも参加者が来たことと、珍しがっていたこととで、初めてのワークショップにしては出来すぎていたフィードバックだったが、ユンミ氏からは複雑だと指摘のあったプランだった。理由は自分が撮った写真は自分が欲しいからというものだった。

帰国後に、お菓子の箱でカメラオブスクラを作るワークショップに参加しました。それは本人が作ったものを持ち帰ることができ、参加者もワークショップを依頼したクライアントも良い体験だったと反響のあるものだった。ここでユンミ氏の指摘していた本質を掴んだような気がしました。

滞在期間中の活動はユンミ氏のおかげで多岐に渡り、支えなしでは考えられない出来事ばかりでした。

作品を鑑賞すること、自身の作品、自分のスタンス、ライフスタイルを思考する時間も豊富にあった。充実した滞在期間だったと思う。

そして、何よりも大きかったのは自分が外国人になるということ。日本に来る外国人がどれだけ努力しているのかを身をもって体験することができた気になりました。第二言語を持たない自分が彼らにできることはあるのだろうか。自分が受けたことを返せるだろうか。

この2ヶ月間、関わった方々の支えに対し、言葉も通じない自分は彼らに何ができたのか、滞在を通し得たものは多いが、相手にメリットがあったのか、疑問の残るものとなってしまったことは、自分の不勉強さゆえだ。加えて、光州での制作として報告できることの薄さに対し申し訳なく思います。アーティストとしての自分ではなく、個人として、ツーリストとして終了したことに深く反省をしている。

正直、韓国問わずにレジデンスプログラム自体に自分が向いているとも思えませんでした。よくしてもらえたことに対する感謝ももちろんありますが、その分の迷惑をかけたとも思っています。

自分にはまだ早すぎる試みだったと思いますし、同時にこのタイミングでSpaceppongに行けたことを光栄に思う自分もいます。

コールセンターで働きながら作家を諦めきれずにほんの少し作家のような振る舞いをし続けているアーティストのような自分ではなく、ユンミ氏はこんな自分のことを常に사진가(サジンカ)として見て、接してくれました。

自分は写真家/アーティストなのだと自覚するきっかけになったのも確かですし、続けてきて良かったと思えた瞬間でした。他の国に行ってみたい気もありますし、もう一度光州にと思ったこともなかったわけではないです。ただ、自分の作品は制作している自身のケア、処方箋として機能させることを目的としているのであれば、しばらくは籠って考えたほうが良いのか、そもそも自分が何をしたいのか決められていないです。今はそうです。

実は渡韓前から、帰国後に展覧会をしたいと思っていたので、石川町にあるLAUNCH PAD GALLERYで報告会兼個展を開催しました。Spaceppongでのグループ展以降も入手したオブジェクトと写真、動画を追加し、開催中、光州での出来事を話すことで自分の体験が少しずつ昇華されていくように思えました。

しかし、まだまだ特殊な体験だったので、いまだに韓国にいた自分と今の自分と別の人の様に思ってしまうことがある。時間をかけて、この経験と向き合い、今後に活かせる様にしていきたいと思ってます。ちゃんと考えます。


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